酒蔵の昔むかし
尾張の国は清洲 織田信長が最初の城下
にぎわった事も今は昔
あっという間の清洲越え
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初代 水野 鉄治
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城は名古屋にありそこから西を見れば広々とした尾張野のはるか彼方には小高い山々が続いていました。
その清洲出身の水野鉄治は名古屋の城下を通り、陶工の町瀬戸をぬけた。
故郷から見ていたあの山がすぐ近くになっていました。
その峠を越えていけば土岐の笠原
そこに住み着くことにになった当人は、その後長い月日の後安永年間(1771年)に造り酒屋を開業いたしました。
その頃では「金まるお」「銀まるお」「炭まるお」の名前で売っていました。
| 三千盛の屋号は初代出身にちなみ尾張屋 |
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が屋号となりました。 |
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二代目 水野 鉄治
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かつては
印の酒の他に夏場は
醤油や
の豆味噌を造っていた頃もありました。
明治の末に「金まるお」は「黄金」の名にかわりました。
瓶がまだ広まってなかったので酒はすべて樽詰め小判の図柄の上に「黄金」と書いたレッテルをつけて売っていました。
ところが「黄金」を名乗る銘柄が全国で20以上もあり、何とか独自の名前をつけたいと6代目の水野鈴吉は苦心していました。
そのころは全国に1万件の造り酒屋があって鈴吉の考えた名前はすでに全て他の酒屋から登録されており、この上は土岐とか笠原とかの地名を冠した名前にするしかなかったのです。
そんな折りに、この名前ならすぐ登録できるというレッテル屋が持ってきたのがこの「三千盛」でした。